Mantovani

 マントヴァーニ(Annunzio Paolo Mantovani)は1905年11月15日、
イタリアのヴェネチアで生まれた。彼の父親はヴァイオリニストで、
ミラノスカラ座で指揮をしていたアルトゥーロ・トスカニーニの下で演奏していた。
幼いころから、ピアノと音楽理論を学んだ。
 1912年に一家で英国に移住し、そこで彼の父親はThe Covent Orchestraを指揮した。
14歳でピアノからヴァイオリンに転向したが、作曲の為にピアノも続けた。
その2年後、彼はブルッフ作曲ヴァイオリン協奏曲第一番を演奏し、プロ・デビューした。
ツアー・オーケストラに参加し、まもなくソリストとなった。
 20歳までは、彼は地元のHotel Metropole Orchestraを率いて、1928年にこのオーケストラと
数曲録音した。
1930、1931年にはサンサーンスのヴァイオリン協奏曲ニ短調を演奏し、
注目を集めるリサイタルを行い、好評を得る。
その頃、同時に、The Tipica Orchestraという新しいグループを結成、
ラジオ番組に出演した。
 マントヴァーニと同オーケストラはイギリス各地で大成功を収め、
1932年から1936年にかけてSterno、Regal Zonophone、Columbiaといったレーベルへ録音を行った。
それらの録音の中の、「Red Sails in the Sunset」と「Serenade to the Night」が
1935年と1936年にそれぞれ米国でヒットした。
Columbia(レーベル)は1937年に彼の録音のクレジットを「Mantovani & His Orchestra」とし、
1940年、彼はDeccaレーベルへ移った。
第二次大戦までに、彼は英国で人気のあるリーダーに一人となり、
1940年代には、活動範囲を舞台芸術に広げ、音楽監督として、
著名な舞台作家、監督、歌手であったNoel Coward(1899-1973)による創作もいくつか参加した。
 第二次大戦が終わると、彼は録音に集中し、コンサート活動は同時に減っていった。
Decca時代、様々なスタイルの音楽を演奏したが、
ロナルド・ビンジによる編曲を演奏して、大ヒットとなった。
ビンジはかつてのThe Tipica Orchestraのアコーディオン奏者である。
ビンジはマントヴァーニのトレードマークである「カスケイディング・ストリング」効果を創った。
これは、ヴァイオリン・パートを3群(マントヴァーニによると本当は6群)に分け、
それぞれがメロディを少しずつずらして弾くことによって、エコー効果が得られるというものである。
 彼は生涯を通して、同じ音楽様式を貫いた。
 1980年3月30日、英国ケント州タンブリッジ・ウェルズで死去した。

音楽歴

代表作

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