Carmen Dragon
1914年7月28日に米国カリフォルニア州アンティオックで生まれた指揮者兼作編曲家。
彼はピアノの他に、コントラバス、アコーディオン、トランペット、トロンボーンを学び、
14歳でダンスバンドを結成した。その後、サン・ホセ州立大学で正式に音楽の勉強をした後、サンフランシスコのナイト・クラブでピアノを弾いていたが、ニューヨークで後にミュージカル「76本のトロンボーン」などのヒットで知られる
メレディス・ウィルソンの助手を務めて才能を認められ、さらにニューヨークのミュージックホールで編曲者・指揮者としての腕を磨いた。
その後、ハリウッドでラジオやテレビ・ドラマの作曲と編曲、指揮者として活躍し、
1944年にはミュージカル映画「カヴァー・ガール」でアカデミー賞を受賞した。
その後、ハリウッド・ボウル交響楽団、キャピトル交響楽団を指揮して、数々の名録音を残す一方、フリーの演奏家を集めてグレンデイル交響楽団を結成、20年にわたって音楽監督を務めた。この、ハリウッド近郊の街の名であるグレンデイル響は、ハリウッドでスタジオミュージシャンとして働いていた腕利きの音楽家たちを多数集めたオーケストラとして、ほとんどの音楽を初見で演奏することができたことでも高名であり、1950年・60年代に西海岸で録音されたブルーノ・ワルターやストラヴィンスキー、ハイフェッツとのレコーディング・セッションの際に中心的役割を果たしたことでも知られる。すなわち、コロンビアへの録音の際にはコロンビア交響楽団、RCAへはRCAビクター交響楽団、キャピトルへはキャピトル交響楽団またはハリウッド・ボウル交響楽団として録音を行っていたが、これらはいずれもグレンデイル響のメンバーが中心となった同じオーケストラだったのである。このカーメン・ドラゴンとの一連の録音は、まさにハリウッド全盛時代のミュージシャンたちの凄みと実力を今に伝える、魅力に満ちた記録としても貴重である。
またロンドンやヨーロッパのオーケストラにも客演し、1978年には初来日して読売日本交響楽団を指揮した。
1984年カリフォルニア州ロサンゼルスで70歳で他界した。
音楽歴
CD
幸運なことに、日本では彼のハリウッド時代の録音がEMIからCDで復刻されている。
コール・ポーターの夕べ / シグムンド・ロンバーグの夕べ
大いなる地ロシア / 魅惑のオリエンタルの調べ
メロディーの花束 / フォスターは招く
楽しい音楽の世界 / コンサート・ガラ
聖なる祈り / クリスマスの音楽
華麗なるコンサート / フットライトとファンファーレ
Music Of Grieg
Opera Without Words
スペインの踊り / スペインの祭り
スペインのこだま / スターライト・コンサート
魅惑のショパン / 星空のコンチェルト
ロマンティック / 夕暮れの音楽
情熱のジプシー / テンポ・エスパニョール
アメリカーナ! / 海の音楽
オーケストラは歌う (不滅のオペラ・アリア集) &オーケストラのプロムナード
愛しのノクターン / 愛しのセレナーデ
ヴィヴァ・イタリア / 美しきフランス
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